不惑
Wゆうたが歌う『不惑』を聞いたあの日、私はこの言葉の意味を知らなかった。
初めて聞いた歌で誰の曲かも存じ上げなかった。
ただ2人が歌うこの曲を聴いて鳥肌が立ったのを覚えている。まさにゾワゾワと。
冬も近づいて来てプリンスホテルのセトリを振り返っていたら、ふと聴きたくなって本家である20th Centuryが歌う『不惑』を聴いてみた。
この歌について調べてみたところ、V6の年上組であるトニセンの最年少、井ノ原くんが40歳になったことで作られた曲らしい。ジャニアイにゲスト出演した時にも歌っていたようだ。
"数え年四十歳のこと"
不惑の意味である。まだ20歳だった神宮寺勇太と22歳だった岸優太が歌うにはまだ早いという意見もちらほらみた。
わたし自身まだ四十には程遠いので"不惑"の感情はわからないが、等身大の彼らから感じるものがきっとあった。
"求めてた未来(あした)とは違う
偶然の幸せを手にしている
不満なんかないけれど でも ああ "
この部分を歌っていたのは確か岸優太だった。
"でも ああ"というたった4文字がやけに重く感じた。
RIDE ON TIMEで話していた、岸優太は後輩のデビューに、神宮寺勇太はKINGの3人への劣等感、それを考えると2人がこの歌に込めた思いもわかるような気がする。
それぞれがたくさんの焦りや嫉妬を乗り越えて、本気でもがいて、赤い血を滾らせようとしている意志が伝わってきたのだと思う。
その結果今があるのであって、デビューした今焦りや嫉妬にぶつからないに越したことはない。
もちろん思い描いた未来を歩んで欲しいし、四十になっても希望や夢を持ち続けて欲しい。
いつだって少し疲れてる四十歳ではなく、まだまだ元気で輝いているアイドルでいて欲しい。
だけれども2人ともが四十を超えた時に歌う『不惑』が見たいと思った。
20年前に歌っていた時の気持ちや、その時からの軌跡を思い出して歌う『不惑』は、また違った味が出せるだろう。
だから今から19年後のWゆうたにリクエストを送りたい。
"あいつがあいつであるように
自分は自分であればいい"
これからも神宮寺勇太がKing & Princeとして
もがき続ける姿を見たい。