宝石がガラス玉になる前に

神宮寺担大学生です

不惑

 

Wゆうたが歌う『不惑』を聞いたあの日、私はこの言葉の意味を知らなかった。

初めて聞いた歌で誰の曲かも存じ上げなかった。

 

ただ2人が歌うこの曲を聴いて鳥肌が立ったのを覚えている。まさにゾワゾワと。

 

冬も近づいて来てプリンスホテルのセトリを振り返っていたら、ふと聴きたくなって本家である20th Centuryが歌う『不惑』を聴いてみた。

 

この歌について調べてみたところ、V6の年上組であるトニセンの最年少、井ノ原くんが40歳になったことで作られた曲らしい。ジャニアイにゲスト出演した時にも歌っていたようだ。

 

"数え年四十歳のこと"

不惑の意味である。まだ20歳だった神宮寺勇太と22歳だった岸優太が歌うにはまだ早いという意見もちらほらみた。

わたし自身まだ四十には程遠いので"不惑"の感情はわからないが、等身大の彼らから感じるものがきっとあった。

 

"求めてた未来(あした)とは違う

偶然の幸せを手にしている

不満なんかないけれど でも ああ "

この部分を歌っていたのは確か岸優太だった。

"でも ああ"というたった4文字がやけに重く感じた。

 

RIDE ON TIMEで話していた、岸優太は後輩のデビューに、神宮寺勇太はKINGの3人への劣等感、それを考えると2人がこの歌に込めた思いもわかるような気がする。

 

それぞれがたくさんの焦りや嫉妬を乗り越えて、本気でもがいて、赤い血を滾らせようとしている意志が伝わってきたのだと思う。

 

その結果今があるのであって、デビューした今焦りや嫉妬にぶつからないに越したことはない。

もちろん思い描いた未来を歩んで欲しいし、四十になっても希望や夢を持ち続けて欲しい。

いつだって少し疲れてる四十歳ではなく、まだまだ元気で輝いているアイドルでいて欲しい。

 

だけれども2人ともが四十を超えた時に歌う『不惑』が見たいと思った。

 

20年前に歌っていた時の気持ちや、その時からの軌跡を思い出して歌う『不惑』は、また違った味が出せるだろう。

だから今から19年後のWゆうたにリクエストを送りたい。

 

"あいつがあいつであるように

自分は自分であればいい"

これからも神宮寺勇太がKing & Princeとして

もがき続ける姿を見たい。

過去、現在、そして未来

 

久しぶりの更新になってしまった。

早いものでデビューしてから5ヶ月、正直神宮寺勇太への気持ちは離れかけていた。

 

デビューして応援の仕方が違うだとか、推しを担当に昇格させたからだとか、つまらなくなったとか、出てくるのはひどい言い訳ばかりだ。

 

担降りも何度か頭を過った。

興味の対象が別の人に向かっていたからというのは一理ある。

嫌いになったわけではなかったし、頭の片隅にはいつも神宮寺勇太の存在があった。

時々今まで応援してきた道を振り返っては感慨に耽っていた。しかし思うことは全て“過去”であった。“現在”への興味が薄れていたのだ。

 

以前は出ている番組は極力リアタイしたいと思っていたし、録画を忘れた日にはとてつもなく落ち込んですぐさまダビングしてくれる友人を探した。

しかしここ最近はというとリアタイにこだわらず、録画が溜まるばかり。出演する番組も把握しきれておらず、テレビ通な親の方が知っていることも多々あった。録画を忘れてもまぁいいかと受け流すことができた。

雑誌も以前は全てに目を通していたが、もう1人の担当のために買ってもキンプリのテキストは読んでいないものもあった。

 

自分が好きだった神宮寺勇太はもういないと勝手に感じていた。これから書くことは個人的な意見と憶測に過ぎないのでもし読んで気分を悪くされるようなことがあったらごめんなさい。

 

あれはデビュー当日に発売されたananだったと思う。自分は素が普通なんですとかキャラがわからないといったテキストを読んで憤りを感じた。

 

神宮寺勇太の好きなところはたくさんある、チャラ宮寺でも国民的彼氏でも、優しくて根は真面目なところ、努力家なところ、パフォーマンス、もちろん容姿も含めて好きだった。

 

よくマニアックだと言われるけれど、私のタイプは少し変わってる人。中でも神宮寺勇太の変なところが大好きだった。変という一言では伝わらないと思うが、彼は時々変な言動をする。

 

メンバーの平野紫耀や岸優太のようにわかりやすいものではないが、本人が意図してないところで笑いを取ってきた。それも爆笑ではなく「え、神宮寺🤭www」というような、言葉で表すと“じわじわくる”が近いかもしれない。

 

馬鹿にしてるように取られるかもしれないが、私は神宮寺勇太のそういうところが大好きだった。

 

デビューしてからというものそのようなところを見かける機会がめっきり減った。それはPrinceの3人で活動するようになった時にも少し感じたが、真夜中のプリンス内ではそのような神宮寺勇太らしいシーンは数多く見られた。

具体的にあげたいところではあるが、ほんとに多々ある小さなことで説明しても面白くないと思うので、それが多発していたガムシャラ時代の神宮寺勇太を注目して見てほしい。

もしかしたらマニアックな観点で伝わらないかもしれないが…

 

キャラについてよく考えているのは以前からだったが、そんなに無理しなくてもいいのにと思っていた昔と違って、今は考えすぎじゃないかなと思う。

 

私が好きになった頃はまだチャラさが残っていた。最初に知った時は、なんだこのチャラいやつは!と思ったけれど、ファンになって頑張っているんだなということに気がついた。

 

チャラ宮寺から国民的彼氏と呼ばれるようになり、印象は大きく変わった。一般受けしないと言ったら良くないかもしれないが、そんなチャラいキャラから、一般受け抜群の誠実でクールで冷静な国民的彼氏になった。ここまで印象を大きく変えた人は他にいない気がする。

 

しかし彼の根本はずっと変わっていないと思う。キャラが変わったのは突然ではなく自然な流れだった。

 

印象が変わり始めたのは、チーム者で過ごした夏だったかもしれない。2年連続でファンカッションのパフォーマンスをするチーム者でリーダーを務めていた姿に、心を打たれた人も多いのではないのだろうか。

 

国民的彼氏と呼ばれるようなった行動はPrince3人で活動するようになってから多く見られた。個性豊かな2人を立てるために自分がしっかりしないといけないと感じていたのだと思う。

 

King & Princeとしてデビューすることが決まって、またキャラについてよく考え、迷っているのが見て取れた。

人数が増えてさらに濃くなったメンバーの中で、また、今までより多くの人の目に触れる立場になって、どうやって自分を見出すのかは大事なことである。

 

数多くいるジャニーズJr.の中で注目され生き残っていくためのチャラ宮寺に対して、6人でデビューした今、グループ内のバランスを取るための冷静で落ち着いたキャラを演じているように感じる。

 

「過去の自分を思い返すと、ちょっと苦い気持ちになりますけど、それもいい経験だったということで。」と何かの雑誌で言っていた。

 

彼自身でも無理にチャラく振る舞っていたあの頃に思うことがあるのだろう。賛否両論あり、冷たい評価も確かにあった。その中でもひたむきな姿が好きだった。

あの頃の彼があってこそ今の神宮寺勇太がいるのは確かである。

 

先日読んだ雑誌の記事に中村嶺亜からKing & Princeへのメッセージがあった。それぞれに思うことはたくさんあったが、神宮寺へのメッセージは「最近の神宮寺を見てると“チャラ宮寺”って呼ばれてたのがウソみたいに紳士になってるから、なんだか寂しい気持ちになるよ(笑) またいつか“チャラ宮寺”が見れるのを楽しみにしているね!」というものだった。

 

電車でこの記事を見たが思わず涙が出た。当時一緒に活動していたからこそのメッセージを今も発信してくれる唯一の存在と言っても過言ではない嶺亜くんには感謝しかない。そして、これをみた神宮寺が何を思ったのか、このメッセージへの返事も見たいと思った。

 

自分のためにだけではなく、グループの未来も見据えた結果が今の神宮寺勇太のキャラなのだとしたら、それは中々できることではないし偉いと思う。

 

だけれども、自分は普通だからという発言は、今まで自分が好きだった面白くて魅力のたくさんある神宮寺勇太を否定された気がしてならなかったのである。

 

デビューして出演する機会の増えたバラエティ番組では、以前より口数が少なくメンバーのフォローや、当たり障りのない発言が多い。

厳しい言い方になってしまうが、きっと一般の人からみた彼への印象は薄い。わたしの思う彼の良さが世に全然伝わっていないのだ。

 

本人が意図しているのかは本人にしかわからないが、まわりを引き立てる彼ではなくて、わたしはもっと彼自身を見たい。

昔みたいに自己顕示欲に満ち溢れた彼が見たい。

 

またチャラ宮寺に戻ってとか、他のメンバーの濃さに負けないようにもっと頑張れとか言いたいわけではない。彼のことだから今だってたくさん考えて頑張っているのだろう。

 

デビューしてグループとして売り出されている今、現状のままでもこれから仕事はあるだろうし、十分にやっていけると思う。その彼が好きだと言ってくれるファンも少なからずいるだろう。

 

けれど、それは本当に宝の持ち腐れだと私は思う。彼がジャニーズJr.として過ごした7年半は決して無駄なものではなかった。だからこそたくさんのファンがいて、今の彼がある。

これからでも遅くないから、彼の持っているもの全てを存分に発揮して欲しいと思う。

 

デビューしてからの彼を全て網羅して見ているわけではない私がとやかく言う筋合いはないのは承知している。しかし、“過去”を懐古してばかりで、神宮寺のことは好きなんだけどねとか、最近の神宮寺はつまらないとか簡単な言葉で片付けていた気持ちに向き合うことで、“現在”の彼に関心が向かなかった理由が改めてわかった。

 

そして好きだった神宮寺勇太がもういないのではなく、自分がそこまで見ようとしていなかったことにも気がついた。

 

1年前、漠然と描いていた“未来”にはたどり着いたものだと思っていたが、彼らはまだ“未来”を描き続けている。

 

1st Concertでみた岩橋玄樹が演出したというPrince3人のコーナーでは、悔しい思いをした“過去”思い出して胸が熱くなった。

その反面、最後の挨拶で聞いたこれからもついてきてくださいという神宮寺勇太の言葉に素直に頷けない自分がいた。

 

あの素晴らしい景色を目の当たりにして、そんなことを思っていた自分が恥ずかしいが、思いがけない一身上の都合(?)が起きていたこと、その時の気持ちも後々ここに残そうと思う。

 

結局“過去”を振り返っているのが大部分になってしまったし、これからも懐古は辞められないと思うが、“現在”の彼も、“未来”の彼も見届けたいと思うことができた。

 

ドキュメンタリーの中で18歳の時辞めた方がいいのかなって思ったと話していた。勝手に神宮寺は辞めるはずないし、“未来”はいくらでもあると信じていたので、その発言には驚いた。

しかし辞めたいではなく辞めた方がいいという言葉に彼らしさを感じた。

 

当たり前のことなんてこの世に一つもない。神宮寺勇太が表舞台に立って活躍していること、本人の言葉によって当たり前なんかじゃないと気付かされた。

今も変わらず、むしろ過去よりもっと、彼を応援できる状況にあるのは幸せなことである。

彼がその道を選んで努力しているということに感謝しなければならない。

 

永遠を誓うとは言えないが、小さな幸せを重ねながら願いたいと思う。

ずっと幸せ続きますように、と。

PrinceとPrincessの軌跡

 

King & Princeのデビューは目前に差し迫った。

今日でジャニーズJr.最後の日だ。


6人でデビューすることに全くもって不満があるわけではないし、むしろとても嬉しいことだと感じている。


しかしこれまでMr.KINGとPrinceとして活動してきたこと、なかったことにはしたくない。
最後に思い入れの深かったPrinceへの想いを言葉にしておきたいと思う。

 

このブログのタイトル“宝石がガラス玉になる前に”はおわかりの通りシンデレラガールの2番の歌詞「恋の魔法には期限がある、時が経てば宝石もガラス玉さ」からきている。

Wゆうたの歌声もメロディーも好きなこのパートをタイトルにしたのには意味がある。

 

恋と呼べるものではないが、わたしが神宮寺くんをこれからずっと好きでいれるとは断言できないし、現にヲタクやめたいとはしょっちゅう言っている。

わたしには100年先も愛を誓うなんて到底できない(?)のである。

だけど今の想いは本物であって宝石のように輝くものだ。これから先その想いがなくなって価値のないガラス玉になる前に拙い言葉でも残しておきたいと思ったのでこのブログを始めた。これを読み返せばいつだって輝きを思い出せるはずだ。

 

前置きはさておき、わたしは正直Jr.内のユニットに深入りをするつもりはなかった。2017年の夏までは…。

 

神宮寺勇太を好きになった当時は岸くんがSHOCKに出演していたため、顕嵐くんが一緒の括りになった頃。Sexy Boysという名でシアタークリエでメインの公演、Sexy Secondのツアーバック。岸優太、岩橋玄樹阿部顕嵐宮近海斗神宮寺勇太、“いつメン”と称されたこの5人が作り出す雰囲気は青春そのものだと感じていた。

あらちかには5人が集結する前からあったTravis Japanという別の居場所もあって、5人が一緒にいることが、全ての人にとって正解ではないこともわかっていた。

 

平野紫耀と永瀬廉が関西から出てきて、髙橋海人とともにDREAM BOYSとして活動し始めた頃にある人が言っていた。Jr.には安定な位置なんてない、皆ライバルでもあり仲間でもある、と。

だからわたしは自担がいる場所があればどこでもいいと良くも悪くも割り切って考えたのだ。

 

だから5人での活動が少なくなっても、彼らがこれからもかけがえのない仲間でいてくれたらいいなと願っていた。

 

Sexy Boyzとしてマリウスとじぐいわの3人で活動していても、じぐいわときしあらちかの立ち位置に差が生じても、のちにキンプリとなる6人でのクリエの公演が決まった時も、Mr.King VS Mr.Princeが結成された時も、Mr.KINGとPrinceとしてバラバラになった時も、それほどの躊躇いもなく受け入れた。

きっとあの頃のわたしだったらハッピーセットのじぐいわが離れ離れになったとしても、きっと容易く受け入れたであろう。

 

Mr.King VS Mr.Princeが結成された頃、6人をよく思わないファンも多くみたが、彼ら自身だって自分たちの望み通りに進むとは限らないし、置かれた場所で精一杯頑張る彼らを応援するしかないと思った。

 

しかしわたしのその想いは前向きなものではなかった。ファンがこんなことを言うのはおかしなことであるが、DREAM BOYSとして押し出され勢いにのっていたKINGの3人に引け目を感じていた。

 

2015年の夏。六本木が熱い夏だった。テレ朝サマーステーションのサポーターになった6人に格差なんてなかったはずなのに、やはりその想いは拭えなかった。わたしはあの夏キンプリよりもチーム者に感情移入していた。

 

サマステオーラスではキンプリ継続を宣言し、6人でMステにも出た。しかしそれから間もなくして、雑誌では、Mr.KING、Princeと表され3人ずつバラバラで活動することになった。

 

発表されたJONNYS' Worldの出演者には大々的にMr.KINGの3人が挙げられ、Princeの名前はない。KINGの3人の単独の写真集。少年倶楽部でもKINGとPrinceの差は歴然だった。

悔しさというよりも、やっぱりなという諦めの気持ちが大きかった。

 

真夜中のプリンスという冠番組が決まった時は嬉しかったが、正直ガムシャラが終わってしまうことの方が寂しく感じた。

 

大学受験を控えていたため、Welcome  to Sexy Zoneも、最後になったクリエ単独公演も申し込まず、クリエにKINGが出演しないことも、サマステのサポーターがKINGだけであったことにも疑問はなかった。

 

サマステの平プリ天才松松公演は仲良くしてくれている後輩に誘ってもらって参戦したが、JONNYS’ Future WORLDにもJONNYS’ ALLSTARS ISLANDにも行くことはできなかった。ジャニフワは神宮寺勇太にとって思い入れのある舞台だったと写真集のインタビューで語っていたので、受験期に被ったことがとても悔やまれる。

 

夏に放送されたPrince3人初のオリ曲『prince princess』は可愛くて、みんなで踊れる曲だったので、今でもとても好きな曲だ。

 

その後発表された『For The Glory』。世間を騒がせた例の神宮寺のパート、もちろん私も大好きだ。その後癖が弱くなってしまったことエゴサでもしたのだろうか。そんなところも神宮寺勇太らしくて大好きだと思った。

合格という栄光のために辛くても必死になっていた受験期にこの歌はぴったりで、しょっちゅう聞いて元気をもらっていた。

 

テレビもスマホもほとんど見なくなっていた1月、センター試験帰り道にメールを開いたら来ていたジャニーズJr.祭りの申し込み。先のことなんて見えなかったが、無心で申し込んだのを覚えている。

 

数週間後、朗報が舞い込んだ。それは最初に受けた大学の合格通知だった。まだ受験は終わっていなかったが、浪人覚悟の受験だったためとても嬉しかった。その日の夕方に来たJr.祭り当選のメール。あの日は嬉しいことづくしだった。

 

それから横アリ、追加公演のたまアリと現場が続いたが、その後新しい大学生活にも慣れ、ヲタクを辞めようと考えた。キントレが自名義全滅で、これまでと同じ熱い夏はやってこないと思っていた。

 

しかし縁あって入れることになったPrince単独公演。それも100番代という過去最高な早番。2年前のVS公演の決勝180番代がそれまでの最高だったが、お目当てのチーム者はいないというちょっと苦い思い出。

全滅からどういう風の吹き回しか、後輩に誘ってもらってキンプリHiB公演も入れることになった。

 

そして待ちに待った7/28、Prince単独公演、袴姿で出てきた3人による書道パフォーマンス。あそこまで近くで担当を見たのは初めてで、思わず泣きそうになった。

安定のオリ曲も、懐かしい曲も、ソロも何もかもが素敵なセトリだった。特に神宮寺ソロの…moreは綺麗な歌声を永遠に聞いていたいと思った。

 

あの日岩橋が言っていた、「ここは銀河一平和な場所だね」と。本当にそう思った。今までたくさんのコンサートに足を運んできたが、これまでに感じたことのないぐらいとても暖かいコンサートだった。

 

それまでのコンサートでは自担の姿だけを追っていたが、あのEXシアターのステージ全てを目に焼き付けていた。Prince3人で作り出した世界に惹きつけられた。この3人の世界をもっと見たいと思ったのだ。

 

そして8/25キンプリハイB公演。サークルの合宿最終日だったが、みんなより先に長野から1人新幹線に乗り六本木に向かった。

レポを見たところ、キンプリのオリ曲が盛り込まれていて、MCも面白い。これがまだ150番代という良番で胸を躍らせていた。

しかし1つ引っかかる点、それはPrinceの3人以外のメンバーは直後にMステ出演を控えていたことだ。

 

以前にMr.KINGとジャニーズJr.という名で出演したMステでキンプリ6人でBounce to Nightを披露したこともあり、今回ももしかして…なんて思ったが、サマステのサポーターであるMr.KINGとアシストのHiHi Jetと東京B少年。今回のMステ出演もそのメンバーであるから望みは薄い。

その3組の公演は7月に行われており、サマステ最後を飾る公演にPrinceも加わった意図を考えてしまった。

 

公演が始まり着々と時間は過ぎた。今思えばこの日の内容については詳しく覚えていない。覚えているのは全て急ぎ足で、MCも早口に告知をしたことだけだった。瑞稀が謝っていた気がする。

 

そのあとの『描いた未来たどり着くまで』単独公演で初披露で、見るのは2回目だった。

儚さの中に力強さのあるこの歌は、その時のPrinceが詰まっていた。

“流れ行く時代の狭間で気がつけば塞いだ、目の前の高い壁は自分でそう作り出した”

 

この歌詞を聞いて自分に刺さるものがあった。ユニットにこだわりを持たないようにしていたこと、KINGに引け目を感じていたことだ。

流れ行く時代の中でたくさんのユニットができ、消滅した。確実な未来はないジャニーズJr.のユニットに深入りして、ただ傷つくのが怖かっただけだった。目の前の高い壁だと感じていていたKINGの存在もPrinceの3人なら超えられる気がしたのだ。

 

コンサートも終盤になった時に平野が言った「Mステ出たいな〜」と。出るでしょ!と突っ込んだ神宮寺は「ファイティンファイティ〜ン!」と明るく言った。岸くんは「絶対見る!!」と。幕が下がった次の瞬間にはもう一度幕が上がった。呼んでもないのにアンコールが始まったことは初めてだった。1番最後に「Mステ見てね♡」と岩橋が言って去っていった。

 

Princeの3人はどんな思いでこの公演に出演していたのだろうと考えた。これは見間違えかもしれないが、岸くんの目が潤んでいたように感じた。神宮寺は笑顔だった。

 

公演が終わったあとに残ったのは、虚無感と悔しさだった。

帰りの電車の中で後輩とTwitterに上がっていた動画を見た。そこには数十分前まで一緒にいた彼らが同じ衣装を着て、同じ笑顔でMステの階段を降りていた。

気づいたら涙が溢れていた、なぜここにPrinceはいないのだろう、3人に何が足りなかったのだろうって。岩橋担の後輩と日比谷線の中で大号泣したこと、今ではいい思い出だ。

あの日この想いをずっと忘れないと誓った。Princeの3人が報われる日まで応援しようと心に決めた。

デビュー決定後に聞いた話だが、この時の公演で自信を持ち、デビューに繋がったという。

 

数日後Princeの単独写真集が発売されることが発表された。始まったJonnys' You & Me ISLANDでは、平野紫耀の存在感には誰も叶わないが、KINGとPrinceとしては大きな差はないと感じた。その後決まったプリンスホテルでの公演。

 

あの日既に写真集は撮り終わっていて、単独にプリンスホテルの関係者の方が来ていたことを思えば、少し気持ちが軽くなった。

 

幸運にもプリンスホテルでの『My Princess Your Prince』に当選し、PrinceとPrincessのあの平和な空間を感じることができた。幸せすぎて、これがPrinceの最高潮なんじゃないかとまで思ってしまった。

 

たしかにPrinceとしての最高潮はあの時であったかもしれない。本当に突然のデビュー発表だった。

発表の前にハピアイ入った時に見た『描いた未来たどり着くまで』と発表後にみたそれは違ってみえた。正直3人の方がいいと思ってしまった『君だけに』も6人の姿が見違えてみえた。

 

デビュー決定までの約半年間PrinceにとってもPrincessにとっても、いろんなことがあった濃い半年だったと思う。

 

初めにも言ったが、6人のデビューに全く不満はない。もしKINGの3人だけでデビューしていたと考えると、あの日と同じ、いやあの日よりももっと強い悔しさを味わうことになっていただろう。

 

一緒になって、また離れて切磋琢磨してきた6人だからこそ作り出せるものがあると思う。

 

銀河一平和だったPrinceとPrincessだけの場所はもうなくなるけれど、King & Princeがまた新しい輝く場所を作り出してくれるだろう。

 

今日で最後のPrinceありがとう。

たくさんの素敵な思い出をありがとう。

 

デビューするからにはKing & Princeが変わることはない、変わることがあってはならない。

新たなスタートを切る6人がずっと輝き続けますように…

デビューするということ

 

 

king & princeのデビューまであと2日。

zipやVS嵐に出演して一般の人の知名度も高まってきてると感じる。特に花のち晴れの影響はとても大きい。

 

私の身近でもそれが感じられる場面が多い。大学のクラスもサークルも同じ仲の良い友人が、平野紫耀にハマってるのだ。少し前まで私にやヲタクやめろなんて言ってくるし、ジャニーズには全く興味がなかったのに、最近は神楽木晴人に恋してるんじゃないかっていうぐらいのハマりっぷり。そこからキンプリにも興味を持ち毎日のようにシンデレラガールの動画を見ている。永瀬廉も気になっているらしい。あわよくばコンサートにも連れてって欲しいという。

 

典型的な花晴れ入りのファンである。私は彼女のことを中傷したいわけでは全くない。むしろ興味を持ってくれたことに喜んでいる。ただ、想像をしていなかったことに驚いているのだ。

 

それだけではない。シンデレラガールを口ずさんでいたらドラマ見てるよ!と言われたり、サークルでキンプリの話をしていたところ先輩たちも入ってきて盛り上がったりもした。大学の教室で会話の中にキンプリの話が聞こえてくることもある。

 

以前は一部の人にしか伝わらなかった話が多くの人の話題に上がったり、反応が大きかったりすることで、king & princeが有名になっていることを身をもって感じている。

 

昔から応援してきたことを思うと全くもって寂しくないと言ったら嘘になるが、彼らの名前が世に知れ渡っていくことはとても嬉しい。

ここまで来てデビューする以上もっともっと有名になって欲しいし、もっともっと売れて欲しい。

 

Jr.時代からのファンは新規や顔ファンをよく思わない人もいるが、売れていくためには新規も顔ファンもたくさん捕まえてなんぼだと思う。

たしかに今まで自分たちだけが知っていた彼らが、デビューすることによって存在が遠くなってしまうと感じて寂しい気持ちもよくわかる。

 

しかし、新規や顔ファンだと中傷したり、驕るような態度を取ることはしたくない。彼らを応援する気持ちがあるのであれば、同じファンであると思いたい。

 

デビューしてこれからも応援していくにあたって、過去の彼らや思い出をひけらかしたくなることもあるかもしれない。そんな気持ちは心の中にしまって、もっと好きになってもらえるようにたくさん布教していきたいと思う。

 

king & princeには国民的、いや世界的アイドルになるために、微力ながらにも応援していきたい。

神宮寺担になった経緯

 

振り返ればジャニヲタ歴のほとんどが神宮寺担だが、その前のジャニヲタになった経緯から。

 

もちろん最初にハマったジャニーズが神宮寺勇太だったわけではないが、沼に落ちたのは神宮寺担になってたからだと思う。

 

なんとジャニーズは舞祭組入り。珍しいねとか意外とかよく言われる。

小さい頃羞恥心が好きだったことを考えれば驚くことではないかもしれない(?)

 

2013年→2014年のカウコンだったか、元日のキスブサSPだったか、気になり始めたのはその辺。そして1/7のミになる図書館、玉森にドッキリを仕掛けられて泣いてしまう千賀健永をみて好きになる。

不思議なことだが、好きになるきっかけはそんなもんだ。

 

それからというもの、キスマイが出てるテレビや雑誌はすべてチェックした。Twitterをやっていなかったあの頃、キスブサが放送される夜は仲良しの友達とのLINEグループで実況して荒らしたっけ。今思えばとんだ迷惑だ。

 

バイロケーションや、仮面ティーチャーも見に行った。そこから高田翔、当時Jr.だった小瀧望ジェシー京本大我、特別ドラマで安井謙太郎、田中樹を認識。曖昧な記憶だが、その時点で岸くんは認識してなかったような気がする。

 

学生生活で1番暇だったと言えるであろう中高一貫の中学三年生の3学期、数ヶ月前に手にしたスマホを駆使して画像や動画、情報を漁った。その中でsexy zoneやJr.にも興味を持ち、バカレアやBBJによって大勢のJr.を認識。

 

キスマイと最も所縁のあるJr.であると言っても過言ではない安井謙太郎を調べていた時のこと、女装をした画像を見つけた。さらに調べていくと、それは佐藤勝利主演の49というドラマの中のシーンであることがわかった。

そして出会った情報は、49の出演者であるJr.が近所の中学校出身ということ。

 

他でもない神宮寺勇太である。

 

そんな単純な理由で好きになったのかとよく言われるが、その事実がなければここまで好きでいたかわからない。

 

今でこそ国民的彼氏と称され、クールで大人っぽいイメージのある神宮寺勇太だが、当時彼の名前をネット検索したところ出てくるのは、チャラい、エロい、ナルシストといった言葉ばかり。極め付けに伝説の迷言(?)「鏡見てて誰こいつかっけぇって思ったら、俺なんですよ」

正直言って第一印象はなんだこいつ!?

 

わたしが生まれ育った町は、近所にマックやゲームセンターはない。もちろんスタバもない。少し歩けば畑や田んぼもあるような、お世辞にも都会とは言えない住宅街だ。

そんな地元からそう遠くないところにチャラくて粋がってる神宮寺勇太がいたのかと考えると、どこか親しみを覚えてしまったのだ。

 

それからというもの少年倶楽部や番組が始まったばかりだったガムシャラを毎週決まって見るようになった。

 

SHARK〜2nd Season〜の撮影で金髪だったこともあり、友人にはやばそうな人にハマったね意外と言われたり、姉がジャニヲタだという友人からは、神宮寺性格悪いから嫌いってお姉ちゃんが言ってたなんて言われたりもした。

 

それ以前の噂や本性はわからないけれど、なぜか悪い子ではない気がした。まわりの評価や見た目で判断するのではなく、これから自分の目で見てもっともっと神宮寺勇太を知りたいと思った。

 

初めて生で神宮寺勇太を見たのは2015年8月9日ガムシャラSexy夏祭り。魔の電話応募に耐え抜き手にしたチケット。まともにコンサートというもの自体行ったことがなかったから本当に楽しみで仕方なかった。

 

初めての爆音に胸を踊らせ、ガムシャラの放送でも練習に励む姿を見ていたファンカッションのパフォーマンスに見入っていた。歓声のdB対決では、出せる限りで叫んだ。

 

そしてコンサートの終盤、たしか勇気100%、バルコニーにsexy boyzの3人がきた。自意識過剰かもしれないが、初めて作った拙い“勇太”という文字に気づいてお手振りをもらえたのだ。

 

今は禁止されてるEXシアターでの団扇、たしかにあのスペースの少ないスタンディングでは団扇がない方が視界良好だし、盛り上がるのはその後何度も入っていてわかる。

だけど、わたしの記念すべき初現場が団扇ありのあの場所であってよかったと思う。

 

このようにして私は神宮寺勇太の沼にハマり今に至る。

私が好きになる以前に近所で見かけたなんて話を聞いたこともあり、もっと早く出会ってたらなんて何度も思った。しかしあの時に神宮寺勇太に出会えたこと、それからずっと好きでいれたことに感謝したいと思う。これからも神宮寺勇太の活躍を見守っていきたいと思う。

 

P.S.神宮寺くん映画初出演おめでとう!

自担の存在



電撃のデビュー発表から2ヶ月、デビュー日とデビュー曲も決まり、やっと気持ちが追いついてきたので、言葉にしたいと思う。

神宮寺勇太くんを好きになったのは私が中学から高校に上がった春、ちょうど4年前になる。担歴がどうこう言いたい訳ではなく、自分がここまでずっと好きでいれた神宮寺勇太という存在に改めて感嘆している。
とは言っても、4年間ずっと同じ熱量で一途に応援して来たとは言い切れない。事あるごとに、萎えた、むり、をた卒したいとほざくし、興味が薄れた時期もあった、推しと位置づけている他に好きなJr.もいた。ちなみに推しは顕嵐→長妻→田島→玉元→本髙→優斗→恭平→和田という遍歴、本髙くんは今もかなりの推し。

推しについてはまた後日語るとして、推し遍歴からわかるようにわたしは一途なタイプではないと思うが、担当はJr.を好きになってからずっと変わらない。お花畑みたいな発言だが、特にここ一年冷め期が来ても目移りしても、神宮寺勇太に何度も連れ戻されている気がしてならないのだ。

具体的に話すとたくさんある。受験期で現場に行けず、雑誌やテレビも追っていなかったので、このままをた卒できるんじゃないかと思った時に当選したJr.祭り。5、6月現場がなく大学生活を謳歌し始めたところで縁あって過去最高の近さで入れたキントレprince単独公演。本髙くんに湧いていたところで、当たった少年収、そしてファンサ。その後もそんなことが短期間に4、5回、詳しく書くとただただ自分のクズさを痛感するだけなのでやめておこう。
本当に愛想つかされても仕方ないと思うが、何度も何度も神宮寺くんと神さまありがとう。

今までデビュー組の担当をまともにしたことがない現場大好きなちょろヲタなので少し不安だけど、これからも自分なりに神宮寺勇太を応援していきたいと思う。