過去、現在、そして未来
久しぶりの更新になってしまった。
早いものでデビューしてから5ヶ月、正直神宮寺勇太への気持ちは離れかけていた。
デビューして応援の仕方が違うだとか、推しを担当に昇格させたからだとか、つまらなくなったとか、出てくるのはひどい言い訳ばかりだ。
担降りも何度か頭を過った。
興味の対象が別の人に向かっていたからというのは一理ある。
嫌いになったわけではなかったし、頭の片隅にはいつも神宮寺勇太の存在があった。
時々今まで応援してきた道を振り返っては感慨に耽っていた。しかし思うことは全て“過去”であった。“現在”への興味が薄れていたのだ。
以前は出ている番組は極力リアタイしたいと思っていたし、録画を忘れた日にはとてつもなく落ち込んですぐさまダビングしてくれる友人を探した。
しかしここ最近はというとリアタイにこだわらず、録画が溜まるばかり。出演する番組も把握しきれておらず、テレビ通な親の方が知っていることも多々あった。録画を忘れてもまぁいいかと受け流すことができた。
雑誌も以前は全てに目を通していたが、もう1人の担当のために買ってもキンプリのテキストは読んでいないものもあった。
自分が好きだった神宮寺勇太はもういないと勝手に感じていた。これから書くことは個人的な意見と憶測に過ぎないのでもし読んで気分を悪くされるようなことがあったらごめんなさい。
あれはデビュー当日に発売されたananだったと思う。自分は素が普通なんですとかキャラがわからないといったテキストを読んで憤りを感じた。
神宮寺勇太の好きなところはたくさんある、チャラ宮寺でも国民的彼氏でも、優しくて根は真面目なところ、努力家なところ、パフォーマンス、もちろん容姿も含めて好きだった。
よくマニアックだと言われるけれど、私のタイプは少し変わってる人。中でも神宮寺勇太の変なところが大好きだった。変という一言では伝わらないと思うが、彼は時々変な言動をする。
メンバーの平野紫耀や岸優太のようにわかりやすいものではないが、本人が意図してないところで笑いを取ってきた。それも爆笑ではなく「え、神宮寺🤭www」というような、言葉で表すと“じわじわくる”が近いかもしれない。
馬鹿にしてるように取られるかもしれないが、私は神宮寺勇太のそういうところが大好きだった。
デビューしてからというものそのようなところを見かける機会がめっきり減った。それはPrinceの3人で活動するようになった時にも少し感じたが、真夜中のプリンス内ではそのような神宮寺勇太らしいシーンは数多く見られた。
具体的にあげたいところではあるが、ほんとに多々ある小さなことで説明しても面白くないと思うので、それが多発していたガムシャラ時代の神宮寺勇太を注目して見てほしい。
もしかしたらマニアックな観点で伝わらないかもしれないが…
キャラについてよく考えているのは以前からだったが、そんなに無理しなくてもいいのにと思っていた昔と違って、今は考えすぎじゃないかなと思う。
私が好きになった頃はまだチャラさが残っていた。最初に知った時は、なんだこのチャラいやつは!と思ったけれど、ファンになって頑張っているんだなということに気がついた。
チャラ宮寺から国民的彼氏と呼ばれるようになり、印象は大きく変わった。一般受けしないと言ったら良くないかもしれないが、そんなチャラいキャラから、一般受け抜群の誠実でクールで冷静な国民的彼氏になった。ここまで印象を大きく変えた人は他にいない気がする。
しかし彼の根本はずっと変わっていないと思う。キャラが変わったのは突然ではなく自然な流れだった。
印象が変わり始めたのは、チーム者で過ごした夏だったかもしれない。2年連続でファンカッションのパフォーマンスをするチーム者でリーダーを務めていた姿に、心を打たれた人も多いのではないのだろうか。
国民的彼氏と呼ばれるようなった行動はPrince3人で活動するようになってから多く見られた。個性豊かな2人を立てるために自分がしっかりしないといけないと感じていたのだと思う。
King & Princeとしてデビューすることが決まって、またキャラについてよく考え、迷っているのが見て取れた。
人数が増えてさらに濃くなったメンバーの中で、また、今までより多くの人の目に触れる立場になって、どうやって自分を見出すのかは大事なことである。
数多くいるジャニーズJr.の中で注目され生き残っていくためのチャラ宮寺に対して、6人でデビューした今、グループ内のバランスを取るための冷静で落ち着いたキャラを演じているように感じる。
「過去の自分を思い返すと、ちょっと苦い気持ちになりますけど、それもいい経験だったということで。」と何かの雑誌で言っていた。
彼自身でも無理にチャラく振る舞っていたあの頃に思うことがあるのだろう。賛否両論あり、冷たい評価も確かにあった。その中でもひたむきな姿が好きだった。
あの頃の彼があってこそ今の神宮寺勇太がいるのは確かである。
先日読んだ雑誌の記事に中村嶺亜からKing & Princeへのメッセージがあった。それぞれに思うことはたくさんあったが、神宮寺へのメッセージは「最近の神宮寺を見てると“チャラ宮寺”って呼ばれてたのがウソみたいに紳士になってるから、なんだか寂しい気持ちになるよ(笑) またいつか“チャラ宮寺”が見れるのを楽しみにしているね!」というものだった。
電車でこの記事を見たが思わず涙が出た。当時一緒に活動していたからこそのメッセージを今も発信してくれる唯一の存在と言っても過言ではない嶺亜くんには感謝しかない。そして、これをみた神宮寺が何を思ったのか、このメッセージへの返事も見たいと思った。
自分のためにだけではなく、グループの未来も見据えた結果が今の神宮寺勇太のキャラなのだとしたら、それは中々できることではないし偉いと思う。
だけれども、自分は普通だからという発言は、今まで自分が好きだった面白くて魅力のたくさんある神宮寺勇太を否定された気がしてならなかったのである。
デビューして出演する機会の増えたバラエティ番組では、以前より口数が少なくメンバーのフォローや、当たり障りのない発言が多い。
厳しい言い方になってしまうが、きっと一般の人からみた彼への印象は薄い。わたしの思う彼の良さが世に全然伝わっていないのだ。
本人が意図しているのかは本人にしかわからないが、まわりを引き立てる彼ではなくて、わたしはもっと彼自身を見たい。
昔みたいに自己顕示欲に満ち溢れた彼が見たい。
またチャラ宮寺に戻ってとか、他のメンバーの濃さに負けないようにもっと頑張れとか言いたいわけではない。彼のことだから今だってたくさん考えて頑張っているのだろう。
デビューしてグループとして売り出されている今、現状のままでもこれから仕事はあるだろうし、十分にやっていけると思う。その彼が好きだと言ってくれるファンも少なからずいるだろう。
けれど、それは本当に宝の持ち腐れだと私は思う。彼がジャニーズJr.として過ごした7年半は決して無駄なものではなかった。だからこそたくさんのファンがいて、今の彼がある。
これからでも遅くないから、彼の持っているもの全てを存分に発揮して欲しいと思う。
デビューしてからの彼を全て網羅して見ているわけではない私がとやかく言う筋合いはないのは承知している。しかし、“過去”を懐古してばかりで、神宮寺のことは好きなんだけどねとか、最近の神宮寺はつまらないとか簡単な言葉で片付けていた気持ちに向き合うことで、“現在”の彼に関心が向かなかった理由が改めてわかった。
そして好きだった神宮寺勇太がもういないのではなく、自分がそこまで見ようとしていなかったことにも気がついた。
1年前、漠然と描いていた“未来”にはたどり着いたものだと思っていたが、彼らはまだ“未来”を描き続けている。
1st Concertでみた岩橋玄樹が演出したというPrince3人のコーナーでは、悔しい思いをした“過去”思い出して胸が熱くなった。
その反面、最後の挨拶で聞いたこれからもついてきてくださいという神宮寺勇太の言葉に素直に頷けない自分がいた。
あの素晴らしい景色を目の当たりにして、そんなことを思っていた自分が恥ずかしいが、思いがけない一身上の都合(?)が起きていたこと、その時の気持ちも後々ここに残そうと思う。
結局“過去”を振り返っているのが大部分になってしまったし、これからも懐古は辞められないと思うが、“現在”の彼も、“未来”の彼も見届けたいと思うことができた。
ドキュメンタリーの中で18歳の時辞めた方がいいのかなって思ったと話していた。勝手に神宮寺は辞めるはずないし、“未来”はいくらでもあると信じていたので、その発言には驚いた。
しかし辞めたいではなく辞めた方がいいという言葉に彼らしさを感じた。
当たり前のことなんてこの世に一つもない。神宮寺勇太が表舞台に立って活躍していること、本人の言葉によって当たり前なんかじゃないと気付かされた。
今も変わらず、むしろ過去よりもっと、彼を応援できる状況にあるのは幸せなことである。
彼がその道を選んで努力しているということに感謝しなければならない。
永遠を誓うとは言えないが、小さな幸せを重ねながら願いたいと思う。
ずっと幸せ続きますように、と。